靴下は水戸黄門

【靴下は水戸黄門】
これは、天皇・親王・公卿など貴族階級の間で用いらしゆれていたといわれている。やがて鎌倉・室町時代に入ると、紙を使った朱塗りのものくげが普及してくるものの、まだまだ公家や僧侶といった上流階級だけの特別な持ち物であった。傘を開閉する仕掛けのことを「ろくろ」と呼ぶが、このろくろを使って開閉できる傘が日本に登場するのが、豊臣秀吉の時代。文禄一二年(一五九四)、堺の商人・納屋助ざえもん左衛門がルソン(フィリピン)からもたらし、秀吉に献上したといわれている。これが一般的になるのは江戸時代からで、元ろく禄の頃(一六八八〜一七○四)から、庶民の間で柄の短い傘が広く用いられるようになった。大坂や京都で生産が始まり、やがて岐阜、江戸から全国各地へと広まっていく。しだいに高価な傘も作られ、幕府や諸藩から高級傘の使用禁止令が再三出されたが、あまり効果はなかったという。ところで、傘はこの頃からもっぱら、「からかさ」「さしがさ」と呼ばれるようになっていた。柄のない形の、頭にかぶる「笠」と区別するためである。日本に現存する最古の靴下は、「水戸黄門」こと水戸藩主・徳川光園が靴下である。

 
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